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セブン&アイの挑戦

2013年11月

第1部 挑戦の軌跡

1.日本型フランチャイズビジネスの創出

既存中小小売店の活性化を目指して

 セブン‐イレブンが創業した1973年は、スーパーストアなど大規模店舗の出店を規制する大規模小売店舗法(大店法)が制定された年。その背景にあったのは、中小規模の小売店の不振が、スーパーストア等の大規模店舗の進出に起因するという考え方でした。
  「中小小売店の効率化、活性化を図ることで、大型店と共存共栄が可能になると証明したかった」と、セブン‐イレブンを立ち上げた意味を鈴木敏文会長は振り返ります。当時米国で好調な業績を上げていたセブン‐イレブンの仕組みを活用して、既存の中小小売店をチェーン化 して仕入れ能力を高め、経営を近代化する仕組みを構築できれば、中小小売店の収益力が高められると考えたのです。
 しかし、当時の流通業界や学者の間では、コンビニ業態は日本では成功しないとの論が圧倒的で、イトーヨーカドー社内も反対論や慎重論に満ちていました。コンビニを、アメリカで流行している目新しい業態という視点ではなく、日本の中小小売店の活性化という視点から考え た議論は皆無でした。そうした多くの反対論を押し切ってサウスランド社と提携にこぎつけたのです。
 ところが、米国へ研修に行って3日目にして、その仕組みをそのまま日本に取り入れてもうまくいかないことを実感。すべての仕組みをゼロから構築していかざるを得ませんでした。

フランチャイズシステムとドミナント戦略

1974年、1号店オープン時のチラシ(右)と1977年のフランチャイズ店募集の新聞広告。
 セブン‐イレブン導入にあたり最初に取り組んだのが、独自のフランチャイズ(FC)システムの創出でした。フランチャイズ事業の根幹は、本部と加盟店の役割分担です。少ない資金でセブン‐イレブンを始めることができ、加盟店が商売に専念できるようになること、また、本部が加盟店を支援することで近代的な経営への脱皮を可能にすることが、仕組みの大きな眼目でした。

 店舗展開をスタートするに当たり、常道ではまず直営店でノウハウを固め、見通しを立ててからFC店を展開しますが、セブン‐イレブンはFCから出発しました。既存小売店の活性化と共存共栄を目指している以上、1号店から加盟店にした方が、その目指すところが明確になる ためです。こうして1974年5月に、第1号店としてセブン‐イレブン豊洲店がオープンしました。

 店舗開発にあたって、セブン‐イレブンは当初から一定の地域に高密度で出店するドミナント戦略を厳守しています。一定の地域内に集中的に店舗展開することは、効率的な商品配送に不可欠です。さらに、まだ日本でなじみの薄いセブン‐イレブンを認知してもらうためにも有効 でした。やがてセブン‐イレブンの重要な事業基盤となる専用工場の設置や共同配送体制の構築、地域密着型の店づくりなどに、そのメリットが効果を発揮していきました。

 他チェーンが全国展開する中で、現在も42都道府県の出店に留めているのは、質の高い出店と店舗サポートのために、ドミナント戦略を固持しているためです。

ダイレクトコミュニケーションを軸にした情報共有と教育

 質の高い店舗づくりには、厳しい立地選定とオペレーション・フィールドカウンセラー(OFC)による、きめ細かな店舗経営相談が不可欠です。そこで重要な役割を果たしてきたのが、ダイレクトコミュニケーションです。
 全国各地で担当店舗を巡って店舗経営相談を実施するOFC全員を、毎週本部に集め、経営方針や重要な商品情報などについて直接情報を交換するFC会議を開催することで、直接顔を合わせて徹底して意思疎通を図ってきました。こうしたコミュニケーションは、何よりも重要な教育の場となってきました。このため、FC会議は現在に至るまで欠かすことなく開催されています。(現在は2週間に1回開催)

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