変化の最先端から「新しい時代」の姿を読む
近代以前の文化を維持する先住民族の社会から最新の情報技術まで、幅広い知識を駆使して現代社会の課題に鋭く切り込む論説で人気の高い月尾嘉男さんをお迎えして、現在の日本社会の問題点や多様化、高齢社会などについて示唆に富むお話をうかがいました。
HOST
セブン&アイHLDGS.
CEO兼会長
鈴木 敏文
GUEST
東京大学名誉教授 工学博士
月尾 嘉男氏
(つきお よしお)
1942年生まれ。1965年東京大学工学部卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、工学博士。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、総務省総務審議官などを経て、2003年より東京大学名誉教授。『100年先を読む』『地球千年紀行 先住民族の叡智』『贅沢の創造』など著書多数。
四季報 2012年WINTER掲載
鈴木 私は月尾さんの出演されているラジオ番組を毎週、出勤する車中で聴いています。お話を聴いておりますと、月尾さんはあらゆる方面にわたってたいへん博学で、つねづね敬服していました。早速ですが、今、日本のマスコミなどの論調では、日本がたいへん厳しい状態になって、格差社会が生まれていると喧伝されています。しかし、ジニ係数などを見ても、私は先進諸国の中で、日本ほど格差の少ない恵まれた社会はないのではないかと思います。むしろ、ヨーロッパなどの方が格差の大きな社会ですが、あまり騒がれている様子はありません。格差の小さな日本の方が、過敏にその点に反応しているのはどうしてなのでしょう。
月尾 それは日本がこれまでの平等で豊かな社会に、一種の過剰適応をしてきた結果ではないかと思います。過剰適応というのは生態学の概念で、生物が特定の環境に適合し過ぎてしまうと、環境が急激に変化した時に対応できなくなり、最悪の場合は絶滅してしまうという状態です。たとえば、ニュージーランドには、もともと鳥の天敵となる捕食動物がいなかったため、固有の飛ばない鳥が数多く棲息していました。ところが1000年ほど前に先住民族であるマオリ族が到来し、飛ばない鳥を獲物として獲り始め、さらに150年ほど前にはイギリス人が入植し、犬や猫などを放し飼いにした結果、ニュージーランド固有の88種の鳥のうち38種類が短期間に絶滅してしまいました。
鈴木 なるほど、飛べれば絶滅することなく逃げ延びることができたはずですね。
月尾 はい。日本社会が格差に敏感になっているというご指摘も、長らく続いてきた平等で豊かな社会に過剰適応した結果ではないかと思います。日本は明治時代以来、国家の政策のもとで工業社会を発展させ、1990年頃までは大成功を遂げてきました。たとえば1980年に日本の鉄鋼生産は、それまでの100年間、首位の座にあった米国を追い抜きました。また、半導体生産は1983年に、自動車生産も1986年に本家の米国を追い抜きました。ところが1980年代末頃から世界は大きく変化し始め、グローバル経済が拡大して、小泉政権時代にはそれに対応するために強引な規制緩和を行った結果、日本の既存の仕組みでは対応できなくなり、その歪みが格差といった形で浮かび上がってきたのだと思います。
鈴木 実際にどんどん厳しい状況になってきましたが、それでも20~30年前の方が、今よりも生活水準が低く、それに比べれば現在の方が向上していることは確かだと思います。
月尾 全体の生活水準はご指摘のとおり向上していますが、ジニ係数は少しずつ増大していますから、格差は拡大していると思います。しかし、それ以上に重大な変化は、日本人の労働についての意識が変化してきたことです。かつて日本人は世界一勤勉な国民と言われ、実際に国民1人当たりの生産性は世界の上位にありました。ところが、現在では17番目にまで下がっています(※)。また国民の祝日は世界で最も多くなり、かつては世界有数の年間勤労時間も、現在では大幅に減少しています。その結果、仕事が生き甲斐と考える国民は少数派になり、生活や余暇が大切だという国民が多数派になりました。このように明治以来続いてきた国民の価値観も、豊かな社会が続いた中で大きく変化しました。そのような内外の情勢の変化により、安閑とした生活ができなくなるという状況にうまく対応できなくなってしまったのだと思います。
(※)出典: IMF World Economic Outlook Databases 2012年10月版