変化をとらえる魅力ある「ストーリー」で流通業に新たな可能性を切り拓く
大ヒットビジネス書となった『ストーリーとしての競争戦略』の著者で、競争戦略とイノベーションを専攻する楠木建教授をお迎えし、消費飽和と呼ばれる現状で、抽(ぬき)んでた成果を上げる「戦略」の在り方について、コンビニからネットビジネスまで幅広くお話をうかがいました。
HOST
セブン&アイHLDGS.
CEO兼会長
鈴木 敏文
GUEST
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授
楠木 建 氏
(くすのき・けん)
1964年生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授、同大イノベーション研究センター助教授等を経て2010 年同大大学院国際企業戦略研究科教授に就任。
2011年8月収録
鈴木 今日は、競争戦略を専門に研究されている楠木さんをお迎えして、いろいろとうかがいたいと思います。いま、日本では消費飽和、モノ余りの時代に入ったと言われています。そのため多くの人は、日本の流通業は競合が激化していると言います。しかし、競合は商品やサービスなどあらゆるものが同質化した結果起こるので、つねに差別化を図っていけば競合に巻き込まれることはないのではないかと、私は考えています。
たとえば、いまコンビニエンスストア(以下コンビニ)業態には競合が存在しない、というのが私の持論です。ここでも多くの専門家が、コンビニの店舗は飽和状態に達して、もう出店の余地がないのではないかと言っていますが、そんなことはありません。現にセブン‐イレブンは、まだ未出店の県が8県もあります。また、既存店1店舗あたり1日の平均売上げ(平均日販)を見てみると、セブン‐イレブンと他チェーンの店舗では、10万円以上の差があります。きちっとした差別化が行われていれば、決して競合状態に陥ることはない、そう思うのですが、楠木さんはどうお考えですか。
楠木 おっしゃる通りです。いまのお話を私なりに理解しますと、単なる量的な飽和というのは必ず発生します。私は、最近、松下幸之助さんが戦前に行った、いわゆる「水道哲学」の大演説を読み直してみて、改めて感動したのですが、あれはモノ不足の時代でみんながお腹をすかせている時代の企業の使命を訴えたものです。つまり、モノを欲している人々に、モノをつくってどんどん供給していくことが、世の中を豊かにすることにつながる、企業はこの使命を果たさなければいけないと、本気で訴えています。モノ不足の時代に世の中を豊かにしようという、そうした経営者の努力があって、やがてモノが余るようになりました。その結果、単純にモノのある、なしでは、価値が計れない時代に入りました。いま、問題になっているのは、そのように見掛け上は飽和状態に入った時、どうすればいいのかということだと思います。
鈴木さんがおっしゃったように、量的に飽和してしまったとしても、他との違いをしっかりとつくっていけば、直接、他との競合に陥ることなく、利益も出せますし、成長も可能です。
鈴木 そうですね。たとえば、GMS(総合スーパー)などは、いまお話に出たモノ不足の時代に、どんどんモノを提供することで成長を遂げてきた業態です。その成功体験があるがゆえに、差別化を行って、同質化しないようにするという考え方が徹底しません。モノ不足の時代の売り方からなかなか脱却できないのです。いったん、体内化されてしまったものを、体内から追い出して、変えていくのはたいへん難しいと感じています。
楠木 私はセブン‐イレブンの戦略の本質として、以前から興味深いのは「時間軸」を取り入れたことだと思います。言い換えるとセブン&アイグループが掲げているスローガン、「変化への対応」です。他との差別化を徹底していくという点ではたいへん重要なもので、「変化への対応」という形で時間軸を取り入れた戦略は、あまり類を見ません。その戦略を実現していくために、セブン‐イレブンでは、「仮説検証型発注」という行動をみんなで行っているわけですね。これは、20世紀の日本発イノベーションとして、トヨタの生産方式と並ぶたいへん画期的なものです。トヨタはモノづくりの立場で、セブン‐イレブンはモノを売る立場で、イノベーションを実現したのですが、どちらも「時間」を重要な資源とみなして経営戦略に組み込んだ点が、イノベーションたるゆえんだと考えています。
いま鈴木さんが指摘したように、セブン‐イレブンでできたイノベーションが、なぜ他の業態や競合では困難かという点を考えると、やはり、仮説検証型発注という取り組みにしても、セブン‐イレブンという大きなストーリーの中でこそ機能するので、セブン‐イレブンとは違うストーリーのもとで成功してきたGMSや他のコンビニチェーンなどに、同じ取り組みをそのまま移植しても、同様の効果は得ることは難しいのではないでしょうか。
しかし、モノ不足の時代に成功したスーパーなどのストーリーが以前のように機能しなくなったのは、誰の目にも明らかです。この場合、差別化の方法をセブン‐イレブンに学ぶというだけでは不十分で、ゼロベースで新しいスーパーのストーリーをつくるくらいの覚悟が必要でしょう。部分的に小さな修正を重ねても本質は変わっていかないように思います。