いまや消費こそが創造的な営み
~発想の転換が、新たな需要創出につながる~
「現在、日本が陥っている不況は、過去の不況対策では解決できない」「生産よりも消費の方がはるかに創造的」成熟した経済社会での不況のメカニズムを解明した小野教授の明快な論旨はいま幅広い分野から注目を集めています。今回は、小野教授を迎え、現在の不況から脱却するために必要な発想の転換をもたらす、新鮮で示唆に富んだ意見をうかがいました。
HOST
セブン&アイHLDGS.
CEO兼会長
鈴木 敏文
GUEST
大阪大学社会経済研究所所長・教授
小野 善康氏
(おの・よしやす)
1951年 東京生まれ。1973年 東京工業大学社会工学科卒。 1979年 東京大学大学院修了 (経済学博士)。武蔵大学助教 授、大阪大学教授、東京工 業大学教授を経て1999年に 大阪大学社会経済研究所教 授に就任、2009年より現職。 『不況のメカニズム』(中公新 書2007年)ほか著書多数。
2010年2月収録
鈴木 いま1日も早い景気回復が望まれていますが、むしろ二番底が心配されるような状況です。景気回復を図るには、何よりも現在の不況がどういう性質のものか、そこをよく見極める必要があると思います。私がかねがね言っていることは、現在の不況と過去の高度成長期に経験した不況とは、根本的に性質が違うということです。
小野さんは、不況のメカニズムについて20年以上も前から研究を続け、さまざまな方面から注目を集めるとともに意見を求められていらっしゃいます。今日はこの不況をどう認識しなければいけないか、そういった点からご意見をうかがいたいと思います。
小野 おっしゃる通り、現在の不況は過去の高度成長期の不況とはまったく違います。どう違うかと言うと、過去の日本の不況は発展途上国型の不況で、現在の不況は先進国として成熟した経済環境下での不況です。この不況をどうとらえるかについては、経済学者にとっても直に経験していないことなので、混乱を招いています。実は不況の解明というのは、経済学がこの100年間ずっと取り組んできて、いまだに解明されていない問題です。私自身は、不況について20年来研究しており、現在の不況をどう見るかということは、まさに私の研究の中心にある問題です。
鈴木 いま、お話にあった過去の発展途上国型の不況と、現在の不況の違いはどこにあるのでしょうか。
小野 発展途上国の不況とは、その国や地域の生産能力がそこで暮らす人々の需要を満たすに至らず、みんなにモノが十分行き渡らないことから起こります。こういった場合、生産性を上げて生産能力を高めることで、より多くの人にモノが行き渡るようにすれば、不景気から脱することが可能でした。しかし、経済が発達して十分な生産能力を持っている成熟社会でも不況は起こり、貧しく飢えた人々が出てきます。代表的な例では1920年代の末に先進国を襲った大恐慌がそうです。このような不況は、生産能力が高度に発達して供給過剰になり、需要不足で失業や格差が発生するために起こります。こんな時、モノ不足の時代の不況と同じように生産能力を高める対策を行うと、モノも人もさらに余り、売れ残りや失業が拡大して不況がいっそう深刻になってしまいます。
鈴木 実際に、私たちの商売上の体験に照らしてみても、1970年代までの高度成長期は、まだモノが十分に生活の中に行き渡っていなかったので、不況期であっても消費者には旺盛な購買意欲がありました。ですから、モノの価格を下げれば買ってもらえた。ところが、消費飽和といわれる現在では、過去と同じように価格を下げても買ってもらえません。そのため、過去の経験で考えてもだめだ、価格ではなく新しい価値の提供こそが必要だと、私は言い続けてきました。しかし、なかなかその点が理解されません。
小野 現在のように飽食の時代と言われる状況は、人類にとってごく最近になるまであり得ない状態でした。もちろん生物全体でも、太古以来、飽食の状態は経験がありません。ですから、不景気といえばモノが足りなくなる状態だということが、私たちの遺伝子の中に組み込まれてしまっているわけです。日本の場合、この先進国型の不況に最初に直面したのが1990年のバブル崩壊以降です。そのため、発展途上国型の不況と混同され、90年代半ばの橋本内閣は、不況対策としてムダをなくして生産性を上げる政策を進めました。その結果、日本の実質成長率はマイナスになって失業が増大しました。また、小泉内閣も構造改革と称して生産性向上を高める改革を推し進めると、かえって経済成長力を損なうということが証明されたわけです。
鈴木 発展途上国型なら生産性を高めることで不況を脱出できたが、いまはその方法では経済状況を悪化させると。
小野 発展途上国型の不況では、まだ需要に供給が追い付いていない状況ですから、ある産業で生産性を上げた結果、余剰人員が生まれても、別の産業で吸収できたわけです。ところがモノが行き渡ってしまったところでは、余剰人員を吸収する余地がありません。その結果、働きたくても働くところがないという非自発的な失業者が大量に生まれ、需要も縮小してしまいます。ですから、私は民間企業で吸収できない人員を、公共事業で使えばいいと主張してきました。
鈴木 90年代から現在に至るまで、不況に陥るたび、財政のムダをなくすために公共事業をカットする動きが続いていますが、むしろ公共事業を通じて失業者を減らす方が景気回復につながるということですか。
小野 そうです。しかし、そう言うとすぐに効率の悪いバラマキ政策だと誤解されますが、私は穴を掘って埋めるような公共事業で雇用を生み出せと言っているのではありません。例えば電線の地中化や老朽化した施設の改修、環境投資など人々の生活を豊かにする設備やサービスを提供することで、経済全体の効率を良くしようと主張しているのです。働く能力も意欲もあるのに、働く場所がなくて失業している人をそのままにしておいたり、生産設備を遊ばせておいたりすることは、たとえば100ある能力の80だけしか使わないことですから、経済全体からみればたいへん非効率です。ましてや、公共事業はムダが多いからとカットして失業する人を大量に生み出すことは、改革でもなんでもなく効率を悪化させる行為です。それよりも公共事業で人材を使った方が明らかに効率がいい。よく「効率か需要創出か」などと言われますが、需要創出こそが効率化なのです。