鈴木 出版界がいまのように厳しい状況になった原因の一つには、過去の経験で本や雑誌をつくり続けてきたことがあると思います。かつて婦人雑誌は、毎年1月は何、2月は何と、各号のテーマが歳時記のように決まっていました。それを繰り返してきた結果、だんだん読者の生活感覚から離れてしまったのだと思います。そういう過去の経験を崩していかなければ、読者は去ってしまいます。
これは、いま消費飽和の時代と呼ばれている小売業でも、まったく同じことが言えます。どんなに時代が変化しても、人々の日常生活の中で「いま欲しい」というものがなくなることはないのです。ところが、「消費飽和だからモノが売れなくても仕方がない」と考えてしまいます。しかし、それは過去の延長で考えて、過去と同じ商品やサービスを提供し続けているから買っていただけないのです。そうではなく、いまお客様の求めているものは何かと考え、お客様の心理を考えて潜在的なニーズをつかみ取る努力が必要なのです。
見城 先ほど5年間で小説の世界は様変わりすると言いましたが、編集者の仕事というのは、いわば無から作家の方の精神を通して本という商品を作り出す仕事ですから、つねにいまの人々の精神のどこに触れるものがどれだけ流通するかを考えていないといけません。
時代はどんどん変化し、読者の求めているものも変わっていきます。編集者はその時々の読者の求めているところを知り、「いま読者はこういうテーマを求めている」といった助言や刺激を、つねに書き手に与えていかなければならないと考えています。
鈴木 消費市場を見てみますと、いまはお客様が日々の生活をより合理的にしていくために、商品やサービスを選択して購入する時代です。こういう時代には「お客様の心理」を考え、いまどういう気分で何を望んでいるかをとらえ、対応を図っていくことが重要です。
昨年末から、イトーヨーカドーではキャッシュバックセールや下取りセールをして成果をあげています。お買上げ金額の2割を現金でお返しするのですから結果的に2割引と同じなのですが、現金で戻るとお得感があります。また、タンスの肥やしになっていた物を現金で引き取ってくれるとなれば、捨てるには抵抗がある物でも喜んでお持ちになります。ですから、経済やビジネスを考えるには、経済学より心理学の方が重要だと言っています。この点は、いまお話に出た編集者の仕事と相通じるところがありますね。
見城 同感です。たとえば、270万部の大ベストセラーとなった「大河の一滴」を五木寛之さんに書いていただいたきっかけは、五木さんと話している時に、いまはプラス思考ばかりが流行っているけれど、政治も経済も社会も先行きが不透明になっている時は、むしろマイナス思考がふさわしいという話題が出たのがきっかけでした。五木さんは中国の屈原の故事を例に、「仕事はうまくいかない。友人は裏切る。病気からは誰も逃れられない。へんに我を通せば失敗する。こういう時代には、それを前提に流れのままに生きるしかない」という話をされました。私はそこで「それをぜひ書いてください」とお願いしました。
鈴木 五木さんの優れた時代感覚と見城さんの優れた編集感覚が結びついて「大河の一滴」が生まれたわけですね。その鋭い眼はどのように養われたのか、興味あるところです。
見城 鋭い眼というのは、ハウツーを学んでつくれるものではないと思います。私としてはつねに自分で七転八倒して、苦しみながら生き、その中で作家と深く付き合っていくことで時代の本質に触れるものを引き出すように努力してきました。表面的に生きて、表面的に付き合っているだけでは、やはり表面的なものしか生まれません。また、小手先で接していたのでは、結局は相手も小手先のものしか出してきません。そういう意味で、つねに生き方が問われるのだと思います。
鈴木 見城さんの仕事の仕方は、作家と深く付き合う中で、作家の精神を刺激して引き出すという感じですね。
見城 作家から決定的なコンテンツを引き出すには、編集者の側でつねに3つのカードを用意していなければならないというのが私の持論です。そして、決定的なチャンスが訪れた時に、そのカードを瞬時に切り出します。
石原慎太郎さんは、私が幻冬舎を立ち上げた時に、わざわざ雑居ビルにあった幻冬舎のオフィスまで来て、激励してくれました。そして「俺がまだ何か役に立てることがあれば何でもするぞ」と言ってくださった。その時に、「私小説として石原裕次郎さんの生涯を書いてください」と間髪を入れずにお願いしました。3枚のうちの1枚を切ったわけです。石原さんは膨大な数の小説を書いていますが、それまで私小説というのは一篇も書いていませんでした。ですから、石原裕次郎という弟を描くことを通じて、石原慎太郎という作家の新生面が見たいとお願いしたのです。もちろん、それは早逝した国民的スターである石原裕次郎を、兄である芥川賞作家の石原慎太郎がどう書くのか、大衆的な興味にもマッチした本ができ上がるという計算がありました。それがミリオンセラー「弟」として結実したのです。2枚目のカードは別の機会に「老いてこそ人生」という、これもミリオンセラーになりました。3枚目はもっとすごいことになるはずですが、まだ実現していません。
鈴木 この作家にはこういうテーマで書いてほしいというものを、あらかじめ持っているわけですね。それを仕掛けるタイミングというのはとても大切だと思います。すべての作家に対して、カードは持っているのですか。
見城 そうではないこともあります。たとえば、郷ひろみとは「ダディ」という本が出る10年前から交友関係がありましたが、私には郷ひろみに書いて欲しいテーマがどうしても見えてきませんでした。郷ひろみからは、いくつかテーマが示されたのですが、私にとっては決定的なものに欠けていました。ところが、ある日ゴルフをしている最中、ひろみから「離婚話を突きつけられ、自分としてはたいへん苦しい」という話が出たのです。それで、私は「これだ」と直感的に思い、「書くことで苦しさから救われるかもしれないよ」と言いました。3日後に、離婚に至る経緯を書き始めることを約束し、それを書いているうちに離婚を受け入れられるようになっていくのです。ならば、離婚届提出の当日に出版しようということになり、それまで仲のいい夫婦を演じてくれるように頼みました。前代未聞の初版50万部のインパクトもあって、あっという間に100万部の大ヒットになったのです。たった1回訪れた決定的なカードのチャンスをものにしたというわけです。
鈴木 やはり見城さんの時代を切り取る確かな眼が、幻冬舎というブランドをここまで大きく育ててきたのだと、お話をうかがって改めて感じました。その背後では、見城さんのたいへんな努力があったのだと思います。
見城 よく「あなたは運がいいね」と言われることがあります。人からそう言っていただけるのは、うまくいっている証拠だと考えていますが、自分の中では「運ではなく、人の百倍努力をしてきたのだ」と独りごちています。好きなことをやっているので、苦しいとか面倒とは思いませんが。
鈴木 なるほど。私もコンビニエンスストアを日本に導入し、ここまで大きくなり、周囲から成功と評価されても、いま改めて考えてみますと、自分で何かをしたというより、その時々に目の前にある問題を解決しようとしてきたことの積み重ねの成果だと思います。
見城 運というものは誰にも平等に訪れているのですが、日頃からの圧倒的な努力があって初めてその運をつかみとれるのだと思います。