不可能を可能にする「挑戦意欲」と変化をとらえ続ける「時代感覚」が
人々の共感する「価値」を生む
出版不況と言われる中、小説、ビジネス書など幅広い分野でミリオンセラー、ヒット作品を送り出し続けている出版社「幻冬舎」。同社を率いる見城社長は、大手出版社編集者時代から、 つねにチャレンジ精神に満ちた刺激的な仕事ぶりで注目を集めてきました。 今回は、多くの読者から支持と共感を得ているヒット作の背景や仕事に対する考え方など、流通業やビジネス全般に相通じる興味深いお話をうかがいました。
HOST
セブン&アイHLDGS.
CEO兼会長
鈴木 敏文
GUEST
株式会社 幻冬舎 代表取締役社長
見城 徹 氏
(けんじょう・とおる)
1950年 静岡県生まれ。 1973年 慶応義塾大学法学部卒業。 1975年 角川書店入社。 「野性時代」副編集長、「月刊カドカワ」編集長、取締役編集部長を歴任。5本の直木賞作品をはじめ、坂本龍一、尾崎豊、松任谷由実など数多くのビッグヒットを放つ一方、「月刊カドカワ」の部数を30倍にして注目を集める。1993年 角川書店を辞し、(株)幻冬舎を設立、代表取締役就任。五木寛之「大河の一滴」、石原慎太郎「弟」、村上龍「13歳のハローワーク」をはじめ、郷ひろみ、さだまさし、劇団ひとりの著作など、創立16年で14本のミリオンセラーを送り出す。 2009年3月に新・女性ファッション誌「GINGER」創刊。著書に「編集者という病い」「異端者の快楽」など。
2009年5月収録
鈴木 いま、出版界はどの会社も「本が売れない」とたいへん苦労されていますが、その中にあって一人気を吐いているのが幻冬舎さんです。私も、かつて出版取次会社のトーハンに勤めた経験があり、現在も同社の役員をしている関係もあって、出版界には少なからぬ興味を持って見てきました。見城さんは、たいへん素晴らしい仕事をされていらっしゃるとつねづね感心していました。
出版界も最近はたいへんな様変わりだと思います。見城さんは、角川書店で編集者としてヒット作品を次々と生み出し、1993年に独立して幻冬舎を立ち上げられましたが、この間、やはり大きな変化を感じていらっしゃるのではありませんか。
見城 おっしゃる通りです。小説の世界は5年でまったく様変わりしてしまいます。私が駆け出しの編集者だった1970年代の後半に、初版で数十万部出ていた作家の方も、いまでは本を出す版元がなくなっているという例は枚挙にいとまがありません。小説雑誌に作品を掲載している作家の顔ぶれも、5年前と現在ではまったく違っています。
鈴木 絶え間なく変化しているわけですね。その中で、いかに有望な新人作家をみつけるかということも難しいのではないでしょうか。
見城 芥川賞も直木賞も、受賞作品は売れますが、その後はもとの部数に戻ってしまいます。文壇のものさしで評価されても、世間のものさしで評価されなければ、受賞した1回だけしか読んでもらえません。ですから、無名の作家でも、まずは自分が感動するかどうか、いっしょに仕事をしたいと思うかどうかが原点です。
鈴木 そういう中で、継続的にヒット作を上梓してこられたのは、見城さんが編集に対する並々ならぬ執念をもって突き進んでこられたからでしょう。
見城 私は、つねに何かに熱狂して、自分の良いと思ったものを世の中に流通させたいという思いが止み難くあります。私には子供の頃から死への恐怖感があり、その不安から逃れるために、絶えず何かに熱狂していないと生きていく空しさに耐えられないということが背景にあると、自分では考えています。
鈴木 編集者として充実感を感じられるのはどのような時ですか。
見城 周囲の誰もが「無理」「不可能」「無謀」と思うことに挑戦して、結果を出した時ですね。角川書店にいた時代から、先輩や同僚と同じことをしていたのでは意味がないと思っていましたし、角川書店というブランド力で作家の方に書いてもらっても達成感は得られません。無理だということを成し遂げて初めて、自分の存在価値があると考えてきました。
ですから、「角川では書かない」という作家の方に敢えて原稿をお願いする、そういう仕事に取り組みました。そのために、その作家の作品はすべて読み、相手の心に届くような手紙を書き続け、この人となら組みたいと思ってくれるまで、徹底的に努力してきました。五木寛之さんは25通目にして、やっと会っていただけましたが、その時にはすでに信頼関係ができていましたね。ですから、16年ほど前に幻冬舎を立ち上げた時も、それまで角川という会社名ではなく見城という個人名で仕事をしてきたという自負がありましたので、無名の出版社でも書いていただける自信はありました。
鈴木 なるほど、それが一番の強みです。しっかりとした作家がいなかったら出版社として成り立ちません。それが元手となって、成長されてきたのですね。
鈴木 幻冬舎を立ち上げられた時は、すでに出版界は厳しい環境に入っていましたが。
見城 100人が100人、失敗すると言いましたね。たしかに編集については知っていましたが、それ以外の流通や営業など、出版界全体のことは何一つ知りませんでした。
それで幻冬舎を立ち上げて、初めて書籍の取次の条件など、流通の仕組みは大手出版社にたいへん有利にできていると知り、これでは新しい出版社など育たないと実感しました。幻冬舎を設立したのは、私が出版界や出版社の経営にまったく「無知」だったからできたことだと思います。しかし、私は「無知」でなければ新しいことは始まらないと思います。
鈴木 私もセブン‐イレブンを始める時は、社内で賛成する人はいませんでした。そこで小売業以外の会社から来た「素人」とゼロからスタートしたことが、振り返ると成功の原因だったと思います。私は「素人」の見方が大切だとつねづね言ってきました。業界慣行などにとらわれていては、時代の変化に合わせた新しいことはできません。24時間営業や、数メーカーの商品を共同配送するなど、業界では不可能と言われたことを実現できたのは「素人」だからこそです。これだけ時代が変化し、お客様のニーズもどんどん変化している中で、過去の経験にとらわれていたのでは、ニーズに応えることはできません。
見城さんのおっしゃる「無知」とは、単なる無知蒙昧ということではなく、過去の経験や習慣にとらわれず、いまの時代を生きている大多数の人々と同じ空気を呼吸して、その感覚や心理をつねに共有することだと思います。
見城 出版業界も、過去の慣習と特権の中にいては、いまの読者が求めているものを提供できなくなるのは当然です。ですから、そういう既成のルールを打ち壊したいと強く思いました。それには幻冬舎が新しいブランドとして認められるようにすることが大切だと考えました。そこで、創立後初めて出した6冊の本を新聞で全面広告を打ったり、たった3年で文庫をいきなり62冊リリースしたり、と無謀ともいえる挑戦をしてきました。
お客様が幻冬舎の本だからと買ってくださり、作家も幻冬舎なら書いてみたいと考える、またテレビや映画、インターネットなど他分野の企業も幻冬舎となら組んで仕事をしたいと思う、そういうブランドになることで歴史ある大手出版社がつくり上げてきた既存のルールを壊して、新しい時代に合ったルールに変えていきたいと考えました。自分たちのルールが業界の常識になれば、仕事もやりやすくなります。そのためには、誰もが無理だということを達成し続けることで、鮮やかにブランドを印象づけようと考えてやってきました。