鈴木 高野さんは指導者としてすでにたくさんの選手を指導してこられましたが、その中で伸びる選手と、素質もあって練習を一生懸命にしているのに成功しない選手というのがありませんか。
高野 それはありますね。やはり、いまお話した二人の自分ということにつながるのですが、伸びていく選手というのは、こちらから「こういうフォームで」というと、そのイメージを取り込んで、動きとしてアウトプットして、さらにその動きを自分の中にイメージとして取り込んで検証するというサイクルがうまくできている選手です。
また、一流選手というのは、こちらの指示したアクションを、ムダを含めて大げさにアウトプットできるんです。人は長く一つのことに取り組んでいると、あらかじめムダと思われるところは切り捨てて、エッセンスの部分だけでアクションするようになるものです。「それをやってもムダだから」というように、経験上ムダだと思うことを切り捨てていく結果、だんだんこぢんまりとまとまってしまいがちです。しかし、一流の選手が新しいことに取り組む時は、過去にムダだと切り捨てたことでも総動員して、大胆にアウトプットとして出してみて、そこから再び自分で感じ取っていらない部分を切り捨てる、そういうサイクルがうまくできています。
鈴木 過去に一度経験してムダだったことも、新しい環境や状況の中にもう一度置き直してみると、意外と有効だったりすることがありますね。それを過去の経験に縛られて、やってもムダだと言っていたのでは、次の一歩が生まれないわけです。そういう点も私たちの仕事に通じるものがあります。
ところで、一流選手にしても、練習を重ねて成果をあげていくのはたいへん苦しいプロセスだと思いますが、選手はそういう練習に義務感から取り組んでいるのでしょうか。それとも楽しんでやっているのですか。
高野 やはり、一流と言われる選手は、自分で陸上競技に対する関心や好奇心があって、自分から極めていくという気持ちを持っていると思います。単に将棋の駒のように人に動かされていたのでは、プロフェッショナルと呼べる仕事はできないのではないでしょうか。その点について私は「自己中心的」であることが重要だと言っています。その場合、「自己中心的」というのは、自分が単なる駒ではなく「指し手」になるという意味です。自分が中心になって競技や仕事を進めていくには、それに必要な環境をつくっていかなければなりません。そのためには、しっかりと他人の存在を意識して、周囲にいかに認知してもらうかを考えることが必要です。競技者として成功している選手は、実は周囲の環境を味方につけて、自分がその中心になれるようにしているのです。他人のことを考えないという意味の「自己中心的」になってしまうと、結局、周囲にいる他人を排除してしまい、その結果自分だけが周りから浮きあがって、どんどん隅の方に追いやられてしまいます。それでは私が言っている「自己中心的」にはなれません。
鈴木 私は、日頃から会社で「お客様の立場に立って考える」ということを言っています。お客様の立場に立って考えることで、お客様に満足していただき、多くの支持をいただけるようになれば、自分たちが時代の流れの中心に立つことができるわけですね。そういう意味で、高野さんの「自己中心的」というお話はたいへんよく分かります。
高野 相手の立場に立つということはたいへん重要です。私は選手を指導するとき、だいたい50人くらいを相手にしているのですが、ほんとうに調子がいい時は、その一人ひとりの気持ちになることができます。たとえば、トップを走っている選手に対しては、いまこんな感じで先頭を切っているなという、その選手の中に入って感じることができますし、それとともに一番後ろの選手に対しても、いま身体のこの辺がキツイなというように感じることができます。相手に乗り移って考えているわけですね。そういう時は、こちらが伝えようとしていることが相手によく伝わります。逆に、自分が上に立って教えてやっているという気持ちでいる時は、意外と相手に伝わっていません。
鈴木 相手の心理に入り込んで考えなければ、ほんとうのコミュニケーションは成り立ちませんね。それは、商売の世界にも言えることです。いま、消費の世界では「消費飽和」と言われています。お客様はすでにいろいろなものを持っていますから、いままでにない新しいものにしか興味を持ってくださいません。ですから、商品やサービスを提供する側は、お客様がどんなきっかけでどんなものをお買い求めになるかなど、お客様の心理をとらえていくことが、商品やサービスの開発から売り方、宣伝に至るまで、あらゆる分野で重要になっています。
鈴木 ところで、高野さんはバルセロナオリンピックで決勝進出という快挙を成し遂げられましたが、現在でも世界大会を見ていますと、世界の記録と日本の記録の間には、まだ大きな開きがありますね。日本人の体型では、世界の強豪に伍していくのは困難だという議論も聞かれますが、それは事実なのですか。
高野 確かに筋肉のつき方や骨格の長さ、角度などの点で、日本人はアフリカ系アメリカ人に比べて不利な点があると言われています。しかし、私は走ることに向き・不向きがあっても、より速く走ることへ挑戦する機会は平等にあるのだと考えています。そして、実際に走った時に速いかどうかは、体型や筋肉、骨格など物理的な部分だけで決まるのではなく、挑戦する気持ちの強さで勝つということもあると思います。
私は、小さなお子さんから年配の方まで、多くの人たちを指導する機会があります。そうしますと、小学校の低学年の人でも、70代、80代の方でも、タイムを計って昨日より今日の方が速くなったというと、誰しも喜ぶのです。速く走れるようになったからといって、直接何か得をすることがあるわけではありません。それでも、速く走れるようになると誰しも喜びを感じます。これは人間以外の動物にはないことだと思います。そう考えると、ひょっとしたら、速く走りたいというチャレンジの気持ちこそが人の進化の第一歩になったのではないかとさえ思います。そのような根源的なチャレンジの気持ちを育みながら、世界の人たちと一緒に「より速く走る」という挑戦に参加することは、たいへん重要だと思います。
鈴木 成果をあげることで得られる達成感や満足感は、人にとってはそれ自体が大きな「ご褒美」なのですね。その喜びを得るために、さらに厳しいトレーニングに耐えて、次のチャレンジに取り組もうという意欲が生まれます。その点は、私たちの仕事も似ています。お店での仕事にしても、たくさんのお客様が来店されれば、接客などで肉体的な疲れは大きくなります。しかし、たくさんお客様に買っていただいた結果、その日の売上げが目標を超えれば、その達成感や充実感で、身体の疲れなどは吹き飛んでしまいます。そして、さらに大きな目標にチャレンジしようという意欲も生まれます。
高野 人は達成感を得ることで挑戦へのモチベーションを持続できるのだと思います。
また、走るということに関して言えば、日本人はそれほど不得意なわけではないと私は思っています。古くから速く走るということにはたいへん関心が高く、「ナンバ走り」など独自の走法も編み出してきました。これはアジアの中でも特異なことではないでしょうか。また、身のこなしや所作など、日本人は動きに対する繊細でいい感覚を養ってきました。そういう蓄積を走りに取り入れていけば、今後もかなりいい成果が期待できるのではないでしょうか。たとえ世界のトップには立てなくとも、つねに決勝に進出して、日本の力を世界にアピールすることは可能ではないかと思います。私は、それに挑戦していきたいと考えています。