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セブン&アイの挑戦

2021年2月

東日本大震災から10年

2011年3月11日、日本観測史上最大の東日本大震災が発生。この未曽有の大災害の中、私たちは迅速に商品の調達と供給を行い、グループの総力を結集し被災地支援に取り組みました。
あれから10年、とくに甚大な被害を被ったヨークベニマルは災害の教訓を経営に活かし、地域との絆をより強めてお客様の暮らしに寄り添い続けています。「奇跡の復興」を牽引した大髙善興会長のインタビューを通じて、人々の暮らしを支えるセブン&アイグループの思いをお伝えします。

ヨークベニマル湊鹿妻店 2020年12月撮影

お客様の“当たり前の幸せ”を支えるスーパーマーケットに
試練を乗り越え、災害に強い組織体制を

株式会社ヨークベニマル
代表取締役会長

大髙 善興

「野越え山越え」の創業精神がライフラインを守る使命感に

 東日本大震災直後、ヨークベニマルは170店舗中、105店舗が閉鎖に追い込まれました。しかし地域の社会インフラとして1日も早い復旧に取り組み、その2カ月後には163店舗体制で営業が可能となりました。そして着実に出店を重ね、店舗数は234店舗(2021年1月末時点)、この10年間、増収増益を継続しています。

 未曽有の難局を乗り越えた原動力は、「野越え山越えはるばるおいで下さるお客様に誠実の限りを尽くせ」という創業の精神が、従業員一人ひとりに受け継がれていたからだと感じています。

 2011年3月11日、私は会議に出席するため、東京にあるセブン&アイHLDGS.の本社ビルにいました。地震発生後、13時間かけて車で郡山に戻り、市内の店舗を回ると、どこも天井や壁が崩れ落ち、商品が散乱する店内からは青空が見えていました。私は「ああ、会社はこうしてつぶれるのか」と呆然と立ちすくみ、歩くことさえできませんでした。

 しかし、各地域のゾーンマネジャー、店長、従業員は既に行動していたのです。本部は早急に対策本部を立ち上げて救助活動を行い、津波の甚大な被害を受けた石巻では、通信が断絶する中、店長の判断で従業員と周辺住民も含めた500名の命を守り通した店舗もありました。

 原発事故の影響を受けたいわき地区には7店舗、約600人が働いていました。メルトダウンの危機が迫る中、従業員の命を守るために私は「全員、店を捨てて撤退しろ!」と号令をかけました。ところが、店舗の従業員は「表にお客様が並んでいます!撤退と言わずに商品を送ってほしい!」と訴えてきたのです。「我々は地域のお客様の命と生活を守りたい、そのために従業員もみんな集まっている」と。

 当社はつねに、「店はお客様のためにある」という理念を大切にしてきました。それが自らも被災者である従業員の皆さんの心に明かりを灯し、こうした災害の時こそ使命感を持って目の前のお客様のためにと懸命に尽力してくれていたのです。スーパーマーケットは命をつなぐライフラインであることを実感し、従業員の姿が眩しく思えました。

 セブン&アイHLDGS.の伊藤雅俊名誉会長と鈴木敏文会長(当時)は自らメーカーに掛け合って物資調達に動いてくださり、当社の物流センターが崩壊し困っていると知ったグループ各社の有志もマイクロバスでがれき除去や店舗復旧の応援にかけつけ、寝袋で寝泊まりして苦労をともにしてくれました。ご家族からは、「どうして、そのような危険な場所に行くのか」と止められたそうです。でも、「小売業で働く者の使命だ」と説得して応援に来てくれたのです。おかげさまで、いち早く避難所に物資を届けることができ、早期の店舗再開につながりました。物心両面での手厚い支援に深く感謝し、セブン&アイグループの一員であることを心強く感じた出来事でした。

震災で得た教訓がコロナ禍でも活きる

株式会社ヨークベニマル 代表取締役会長 大髙善興

 あれから10年、今でも各地のお客様から「あの時はありがとう」「ベニマルさんのおかげで助かった」とお声がけいただきます。増収増益を続けているのも、お客様の信頼があり、試練を乗り越えることで成長してきたからだと思います。

 震災により当社は一時的に店舗や本部オペレーションが縮小しましたが、それを前向きにとらえ、時代の変化に対応しながら再構築するよう努めてきました。「防災」「備蓄」「避難」の3つのテーマで整備を徹底した防災対策や、リーダーの危機管理「5つの心得」はその一つです。「5つの心得」とは、1.耐える事、2.決断する事、3.権限委譲する事、4.使命感を持つ事、5.軸をぶらさない事。これが試練の際の正しい判断につながります。

 また、従業員教育では「自ら考えて行動できる」人材を育成。一人ひとりが目標達成設定カルテを持って単品管理を徹底し、マネジメントレベルを向上させる仕組みも推進しています。

 しかし、お客様に誠実を尽くすには技術やマネジメントの教育だけでなく、「何のために働くのか」という思いが大切です。私自身、震災の恐怖と不安の中で、毎日「自分は何のために生きるのか」「幸せとは何だろう」と考えました。そして痛切に感じたのは、「朝、ご飯を食べて、元気に働く」このような普通の日々が一番。そんな当たり前の暮らしを支えるのが、我々スーパーマーケットの存在意義です。震災後、「店を開けてくれてありがとう」と感謝の手紙が何百通も届きました。商売をすることで、こんなにもお客様に喜んでいただける。そのことに誇りを持ち、「地域のお客様のお役に立つ店になろう」「会社の哲学・方針に沿って自立と自己責任の精神で行動しなさい」と繰り返し従業員に言い続けてきました。

 一昨年は台風で商圏が甚大な被害に見舞われ、3店舗が水没しましたが、すぐさま従業員が結集してバスでかけつけ、わずか1日で被災した店舗を復旧させました。「ベニマルはなぜこんなことができるのか?」と驚かれましたが、まさに震災の教訓をもとに、精神的にも災害に強い組織づくりができていたからにほかなりません。

 このたびのコロナ禍でも、本部・店舗ともにスピーディーかつ冷静に感染予防対策を徹底することができました。それでも想定外のことは起こり、4店舗に陽性者が出てやむなく一時閉店をしました。しかし、再開後すぐに地域のお客様が買物に訪れ、口々に「大変だったでしょう」と従業員を励ましてくださいました。地域のお客様に必要とされていることを実感しています。

地域のお役に立つことが会社が存続する意義

 コロナ禍においてライフラインを担うスーパーマーケットへのニーズが高まっています。しかし、経済全体の先行きは楽観視できず、お客様の消費意欲が減退し、東北地方の人口も減少していく中で、競合との生き残りをかけた戦いが始まっています。

 我々は、どんな時もブレることなく創業の精神に立ち返り、お客様に誠実を尽くしていきます。誠実を尽くすとは、基本をしっかりやることです。明るい笑顔での接客、清潔で鮮度の良い商品、欠品がなく品揃えの良い売場。この当たり前のことを徹底的にやることこそが誠実であり、最大の戦略です。それができれば、どんな試練に見舞われても必ず立ち直ることができる。そのことを東日本大震災から学びました。

 私はヨークベニマルを日本一明るく元気で前向きな会社にしよう、と思っています。従業員が安心して働くことができ、地域のお客様のお役に立つことこそが会社が存続する意義だからです。コロナ禍によるお客様の新しい生活様式に対応しながら、「ベニマルに行けば買物が楽しい」「いつ行ってもおいしいものがお買得だ」という喜びや新しい発見をつねに提案していきます。

 今、私は「試練は宝だ」と感じています。人生も仕事も試練や困難、逆境を乗り越えていくことで、人は成長していくと思い、これからも精進してまいります。

ペップキッズこおりやま

ペップキッズこおりやま

「原発事故により屋外で遊べなくなった子どもたちのために夢と希望を与えたい」という大髙会長の願いが込められた屋内遊戯施設「ペップキッズこおりやま」。コロナ禍でも地域の子どもたちに安全・安心な遊び場を提供しています。

少しでもお客様のお役に立ちたい
「移動販売」でつながった地域との絆

セブン - イレブン多賀城大代5丁目店

セブン-イレブン多賀城大代5丁目店

「真っ暗な中にセブンの明かりがあることに安心する」という声にも勇気をもらいました。(2021年1月現地カメラマンが撮影)

 津波が押し寄せ、わずか10分で店舗が水没したセブン‐イレブン多賀城大代5丁目店。従業員が励まし合ってがれき撤去をすすめる中で被災者が買物に困っているという声を聞き、チルド配送のトラックを借りて「移動販売」を始めました。

 「本部の支援で商品を集め、とくに被災が大きかった地域を回りました。そこでお客様と心がつながったのでしょうか、5月に店舗を再オープンした時には移動販売で出会ったお客様に多数ご来店いただき、『あの時は助かった』と感謝の言葉をかけてくださいました」とオーナーの小林 佳樹さん。

 毎年3月11日には特別な朝礼シートを制作、震災の教訓を忘れないよう、従業員と思いを共有しています。

刻々と変わっていくニーズに応え、競合との商品調達力の違いが明確に

イトーヨーカドー石巻あけぼの店

イトーヨーカドー石巻あけぼの店

建物が頑丈で倒壊を免れたことも安心感や信頼感につながりました。(2021年1月現地カメラマンが撮影)

 ほぼ全域が津波に襲われた石巻エリア。幸い津波を免れたイトーヨーカドー石巻あけぼの店は、被災3時間後に営業再開を決意。水や食料などの生活必需品を求めて多くのお客様が来店されました。店舗は、停電のため明かりもなくレジも動かない中で、手作業での営業となりましたが、ご来店されたお客様には、涙ながらに喜んでいただきました。

 「数日すると嗜好品が求められるようになるなど、刻々と変化するニーズに対応しました。本部からは、最優先で商品が送り込まれ、社員も応援にかけつけてくれました。そのため、商品調達力も強く、お客様が求められている商品をお届けすることができました」と当時店長だった青山 稔さん。10年経った今もお客様と従業員の間には温かな交流が見られ、地域になくてはならない存在となっています。