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東⽇本⼤震災から10年がたちます。被害を受けたすべての皆様に、改めて⼼よりお⾒舞い申し上げます。

当時、セブン&アイグループは社会インフラとしての役割を果たし、緊急⽀援をはじめ商品供給や物流体制の
再構築、⾏政との連携など、直⾯する多様な課題にグループ⼒を結集し対処しておりました。未曽有の震災を
乗り越え、地域のお客様とともに復興の道を歩んできた当社グループの従業員とセブン - イレブンの加盟店
オーナー様の「今」の声をお届けします。

試練を乗り越えお客様の日常のために

試練を乗り越えお客様の日常のために

ヨークベニマル

震災によって全店舗の6割以上が休業に追い込まれたヨークベニマル。
力を合わせて早期復旧を実現し、地域のインフラとして揺るぎない信頼を得ています。
未曽有の難局を乗り越えた原動力は、「野越え山越え」の創業の精神を胸に、
従業員一人ひとりが行動したことでした。

ヨークベニマル 代表取締役会長 大髙善興|セブン&アイの挑戦 東日本大震災から10年|お客様の“当たり前の幸せ

ヨークベニマル 代表取締役会長 大髙善興|セブン&アイの挑戦 東日本大震災から10年|試練を乗り越え、災害に強い組織体制を

「野越え山越え」の創業精神が
ライフラインを守る使命感に

東日本大震災直後、ヨークベニマルは170店舗中、105店舗が閉鎖に追い込まれました。しかし地域の社会インフラとして1日も早い復旧に取り組み、その2カ月後には163店舗体制で営業が可能となりました。そして着実に出店を重ね、店舗数は234店舗(2021年1月末時点)、この10年間、増収増益を継続しています。
未曽有の難局を乗り越えた原動力は、「野越え山越えはるばるおいで下さるお客様に誠実の限りを尽くせ」という創業の精神が、従業員一人ひとりに受け継がれていたからだと感じています。

2011年3月11日、私は会議に出席するため、東京にあるセブン&アイHLDGS.の本社ビルにいました。地震発生後、13時間かけて車で郡山に戻り、市内の店舗を回ると、どこも天井や壁が崩れ落ち、商品が散乱する店内からは青空が見えていました。私は「ああ、会社はこうしてつぶれるのか」と呆然と立ちすくみ、歩くことさえできませんでした。
しかし、各地域のゾーンマネジャー、店長、従業員は既に行動していたのです。本部は早急に対策本部を立ち上げて救助活動を行い、津波の甚大な被害を受けた石巻では、通信が断絶する中、店長の判断で従業員と周辺住民も含めた500名の命を守り通した店舗もありました。
原発事故の影響を受けたいわき地区には7店舗、約600人が働いていました。メルトダウンの危機が迫る中、従業員の命を守るために私は「全員、店を捨てて撤退しろ!」と号令をかけました。ところが、店舗の従業員は「表にお客様が並んでいます!撤退と言わずに商品を送ってほしい!」と訴えてきたのです。「我々は地域のお客様の命と生活を守りたい、そのために従業員もみんな集まっている」と。

当社はつねに、「店はお客様のためにある」という理念を大切にしてきました。それが自らも被災者である従業員の皆さんの心に明かりを灯し、こうした災害の時こそ使命感を持って目の前のお客様のためにと懸命に尽力してくれていたのです。スーパーマーケットは命をつなぐライフラインであることを実感し、従業員の姿が眩しく思えました。
セブン&アイHLDGS.の伊藤雅俊名誉会長と鈴木敏文会長(当時)は自らメーカーに掛け合って物資調達に動いてくださり、当社の物流センターが崩壊し困っていると知ったグループ各社の有志もマイクロバスでがれき除去や店舗復旧の応援にかけつけ、寝袋で寝泊まりして苦労をともにしてくれました。ご家族からは、「どうして、そのような危険な場所に行くのか」と止められたそうです。でも、「小売業で働く者の使命だ」と説得して応援に来てくれたのです。おかげさまで、いち早く避難所に物資を届けることができ、早期の店舗再開につながりました。物心両面での手厚い支援に深く感謝し、セブン&アイグループの一員であることを心強く感じた出来事でした。

震災で得た教訓がコロナ禍でも活きる

あれから10年、今でも各地のお客様から「あの時はありがとう」「ベニマルさんのおかげで助かった」とお声がけいただきます。増収増益を続けているのも、お客様の信頼があり、試練を乗り越えることで成長してきたからだと思います。
震災により当社は一時的に店舗や本部オペレーションが縮小しましたが、それを前向きにとらえ、時代の変化に対応しながら再構築するよう努めてきました。「防災」「備蓄」「避難」の3つのテーマで整備を徹底した防災対策や、リーダーの危機管理「5つの心得」はその一つです。「5つの心得」とは、1.耐える事、2.決断する事、3.権限委譲する事、4.使命感を持つ事、5.軸をぶらさない事。これが試練の際の正しい判断につながります。
また、従業員教育では「自ら考えて行動できる」人材を育成。一人ひとりが目標達成設定カルテを持って単品管理を徹底し、マネジメントレベルを向上させる仕組みも推進しています。

しかし、お客様に誠実を尽くすには技術やマネジメントの教育だけでなく、「何のために働くのか」という思いが大切です。私自身、震災の恐怖と不安の中で、毎日「自分は何のために生きるのか」「幸せとは何だろう」と考えました。そして痛切に感じたのは、「朝、ご飯を食べて、元気に働く」このような普通の日々が一番。そんな当たり前の暮らしを支えるのが、我々スーパーマーケットの存在意義です。震災後、「店を開けてくれてありがとう」と感謝の手紙が何百通も届きました。商売をすることで、こんなにもお客様に喜んでいただける。そのことに誇りを持ち、「地域のお客様のお役に立つ店になろう」「会社の哲学・方針に沿って自立と自己責任の精神で行動しなさい」と繰り返し従業員に言い続けてきました。

一昨年は台風で商圏が甚大な被害に見舞われ、3店舗が水没しましたが、すぐさま従業員が結集してバスでかけつけ、わずか1日で被災した店舗を復旧させました。「ベニマルはなぜこんなことができるのか?」と驚かれましたが、まさに震災の教訓をもとに、精神的にも災害に強い組織づくりができていたからにほかなりません。
このたびのコロナ禍でも、本部・店舗ともにスピーディーかつ冷静に感染予防対策を徹底することができました。それでも想定外のことは起こり、4店舗に陽性者が出てやむなく一時閉店をしました。しかし、再開後すぐに地域のお客様が買物に訪れ、口々に「大変だったでしょう」と従業員を励ましてくださいました。地域のお客様に必要とされていることを実感しています。

地域のお役に立つことが
会社が存続する意義

コロナ禍においてライフラインを担うスーパーマーケットへのニーズが高まっています。しかし、経済全体の先行きは楽観視できず、お客様の消費意欲が減退し、東北地方の人口も減少していく中で、競合との生き残りをかけた戦いが始まっています。
我々は、どんな時もブレることなく創業の精神に立ち返り、お客様に誠実を尽くしていきます。誠実を尽くすとは、基本をしっかりやることです。明るい笑顔での接客、清潔で鮮度の良い商品、欠品がなく品揃えの良い売場。この当たり前のことを徹底的にやることこそが誠実であり、最大の戦略です。それができれば、どんな試練に見舞われても必ず立ち直ることができる。そのことを東日本大震災から学びました。

私はヨークベニマルを日本一明るく元気で前向きな会社にしよう、と思っています。従業員が安心して働くことができ、地域のお客様のお役に立つことこそが会社が存続する意義だからです。コロナ禍によるお客様の新しい生活様式に対応しながら、「ベニマルに行けば買物が楽しい」「いつ行ってもおいしいものがお買得だ」という喜びや新しい発見をつねに提案していきます。

今、私は「試練は宝だ」と感じています。人生も仕事も試練や困難、逆境を乗り越えていくことで、人は成長していくと思い、これからも精進してまいります。

ヨークベニマル湊鹿妻店(宮城県石巻市)|ヨークベニマル監査室 (当時) ヨークベニマル湊鹿妻店 店長 物江信弘|当時の想い 極限状態でもあきらめず、店舗一丸で最善を尽くす|地域を守り、復興の印となる

ヨークベニマル湊鹿妻店(宮城県石巻市)|ヨークベニマル監査室 (当時) ヨークベニマル湊鹿妻店 店長 物江信弘|当時の想い 極限状態でもあきらめず、店舗一丸で最善を尽くす|地域を守り、復興の印となる

極寒の極限状態で孤立し、
5日間、屋上で避難生活

震災後の湊鹿妻店の様子。
がれきがつみ上がり、津波で流された車が店内にまで及んでいました。

津波に襲われ孤立したヨークベニマル湊鹿妻店は、通信手段も断絶した極限状態で5日間、地域のお客様約500名の避難所となりました。地震発生直後、迅速に屋上への避難誘導ができたので全員の命が助かったものの、直後に襲いかかった津波の威力は凄まじく、家ごと流されていく人々にロープを投げ入れて助け上げるなど、無我夢中の救助活動が続きました。

震災後の湊鹿妻店の様子。
がれきがつみ上がり、津波で流された車が店内にまで及んでいました。

雪が舞い散る中、ヨークベニマルを頼って地域のお客様が続々と避難。津波が引いた後は、がれきの山となった店内から食べられるものを拾ってきてはみんなで分け合い、仮設のトイレをつくるなど、被災した皆さんの不安を少しでも取り除こうと苦心しました。

本社と連絡が取れない中、生死の狭間にありながらも目の前の人々を助けたいという一心でした。お客様にとって何が最善なのかをつねに考えていました。私が指示しなくても当店の従業員たちが率先して動いてくれて本当にありがたかったです。きっとヨークベニマルの従業員の誰もが自分たちと同じ行動をとると思います。お客様とも協力しあい、あの5日間で強い絆が生まれました。

地域復興の印となる「奇跡の再開店」

震災後、商圏内の学校や商店はほとんどが閉鎖。湊鹿妻店も営業再開は困難と思われていました。しかし、湊鹿妻エリアには食品を買える場所がなく、お客様から繰り返し「早く帰ってきて!」という切実な声が私たちにも届いていました。

そこで本社と相談を重ね、震災の翌年7月に湊鹿妻店は再び店を開けることになったのです。小売業の使命は地域のライフラインを守ること。地域の皆様が安心して戻ってこられる復興の印として…。そんな思いでの再開でした。

お知らせのチラシもまかずひっそりと再オープンを迎えましたが、店頭には100人以上のお客様が並び、涙ながらに「ありがとう!」と握手を求められました。お客様と従業員が抱き合って喜ぶ姿を見て、私の目にも涙が…。「奇跡の再開店」と言われましたが、その通りだと思います。お客様の強い想いをいただいたから、店を再開させることができたのです。

未曽有の大災害を体験し、"我々の仕事はなくしてはいけない"と、より強く感じるようになりました。どんなことが起ころうとも、これからも誇りと自信を持って、地域住民の方々の安全・安心な暮らしを支えていこうと思っています。

ヨークベニマル湊鹿妻店(宮城県石巻市)|ヨークベニマル湊鹿妻店 店長 桑折広信さん|想いを継いで 地域のお客様に貢献するための再開|地域が元気になる商売でお客様と心をつなげる

ヨークベニマル湊鹿妻店(宮城県石巻市)|ヨークベニマル湊鹿妻店 店長 桑折広信さん|想いを継いで 地域のお客様に貢献するための再開|地域が元気になる商売でお客様と心をつなげる

コロナ禍でも心が伝わるよう笑顔で接客。

再オープンの日、「地域のお客様に貢献するために再開するんだ」と語った当社会長・大髙の言葉が忘れられません。2016年の私が店長に着任した当時、店の周辺はまだ復興したとは言えず、"我々が地域を盛り上げていかなければ"と強く感じたことを覚えています。

コロナ禍でも心が伝わるよう笑顔で接客。

地元商品を取り揃え、
喜ばれながら復興を後押し

そこで力を入れたのは、地元商品の開発です。お客様も大変喜んでくださり、石巻産の『伊達の旨塩』や地元珈琲専門店がつくる『コーヒーようかん』などがヒットしました。また、地域の子どもたちの絵を店内に掲示する取り組みも行っています。小さな取り組みですが、こうしたことの積み重ねがお客様との明るい会話につながっています。

10年たった今も従業員の災害に対する危機意識は高く、定期的に行われる防災訓練では真剣そのもの。お客様もカート等の備品を大切に扱い、従業員を労ってくださるなど、ヨークベニマルの存在をありがたく感じてくださっているのが伝わってきます。

ヨークベニマル湊鹿妻店
宮城県石巻市伊原津2-10-50

VOICE

ヨークベニマル湊鹿妻店

大街道店CS統括
(湊鹿妻店CS統括 当時)

奥野優子

「想定外」につねに備えを

震災当日、津波に遭ってずぶ濡れの高齢者やけが人が次々に店舗屋上に運び込まれました。店内から防寒着や救急用品を探し出して必死で手当てをしました。災害はいつ起こるかわからないので、事前に対処法を覚えておくと良いと思いました。あり得ないことはないと考え、つねに有事に備えています。

湊鹿妻店
デイリー担当

佐々木文夫

お客様が「これで安心」と涙

帰宅途中に津波に襲われて車ごとのまれ、雨どいにすがって九死に一生を得ました。その後、店舗屋上で地域の方と避難生活を過ごし、店が再開した時に「お互いよく生きてたね」と抱き合って喜びました。食料確保に苦労していたお客様が「これで安心」と涙するのを見て、私たちの使命を強く感じました。

移動販売車でお客様を支えた

移動販売車でお客様を支えた

セブン ‐ イレブン・ジャパン

セブン ‐ イレブン・ジャパンでも震災後の大津波で多数の被害を受けましたが、
加盟店とセブン ‐ イレブン本部が一丸となって復興のために行動を起こしました。
お店がなくても「近くて便利」を実現した震災時の軌跡をたどります。

セブン - イレブン多賀城大代5丁目店(宮城県多賀城市)|セブン ‐ イレブン多賀城大代5丁目店 オーナー 小林佳樹氏|お客様の感謝の声が後押しに|移動販売でお客様のもとへ 災禍で見つけた商売の原点

セブン - イレブン多賀城大代5丁目店(宮城県多賀城市)|セブン ‐ イレブン多賀城大代5丁目店 オーナー 小林佳樹氏|お客様の感謝の声が後押しに|移動販売でお客様のもとへ 災禍で見つけた商売の原点

不安ばかりの中で始めた
トラックによる移動販売

震災当時の移動販売車両。
仮設住宅や避難所、住宅地などを回り、
お客様に買物する場を提供。

震災発生時、津波が来ることをラジオで知った私は従業員みんなと高台に避難し、間一髪で無事でした。しかし店は津波で全壊。翌日は水が引いたものの、この先どうなるのか想像もつかないまま、まずは店内を片付けるところから始めたのです。片付け中には、まだ食べられる商品を集めて、近隣の方々にすべて無償でお配りしました。それまで商売ができていたのは、地域の方々の支えがあってのことだと思っていましたから。

それからの1カ月ほどは、従業員たちの安否確認とがれき除去です。幸い従業員は全員無事が確認できました。安堵する一方で、「もうこの場所で商売はできないのでは」と不安を抱いていました。そんな時、4月6日に本部から配送用の2トン車に商品を載せて販売する移動販売の話がきて、「少しでも復興の役に立ちたい、ぜひやりたい」と返事をしました。

震災当時の移動販売車両。
仮設住宅や避難所、住宅地などを回り、
お客様に買物する場を提供。

当時スーパーマーケットなどは閉まったままで、買物がしたくてもできない状況でした。少しでも必要なものを届けたいという、強い思いから地域を走り回りました。移動販売は従業員にも交代で手伝ってもらい、従業員が家にあったガスコンロを持ってきてお湯を沸かし、缶コーヒーを湯煎して温めたり、トラックのバッテリーから電源を取って、本部の店舗経営相談員(OFC)が持ってきた電子レンジで商品を温めたり。少しでもお客様に温かいものを提供したいと、全員必死で知恵をしぼりました。
移動販売にうかがうと、店の常連さんはもちろん初めてのお客様も来られて、多くの方が喜んでくださいました。5月に店を再開した時には、大勢のお客様から「大変な時に移動販売をやってくれてありがとう!」と感謝の声をいただき、ここで商売をやっていて良かったと心から思いました。やはり商いの原点は"お客様のお役に立つ"ことだと改めて実感しました。

10年を経て絆はより強く、強固に

震災時の移動販売の様子。地域の人々にとって、なくてはならない存在に。

震災で車を流され、買物に行けず困っているお客様も多いので、店舗再開後は地域の「御用聞き」の役割を強化しています。震災の翌年からは本部からの声かけもあり「セブンあんしんお届け便」を開始。お買物が難しい地域のお客様のためにと、今も週5回ほど車で巡回しています。

震災時の移動販売の様子。地域の人々にとって、
なくてはならない存在に。

あの震災は本当に大変でしたが、窮地に追い込まれた時に助け合う気持ちや、従業員みんなとのチームワークがいかに大切か身をもって感じることができました。震災を経て仲間との絆が深まったと感じています。その従業員の多くが、今も働いてくれているのも本当にうれしいです。毎年、3月11日のお店の朝礼には、私の思いを書いた朝礼シートをつくっています。あの時の気持ちを忘れないように、災害があった時に迷わずに行動できるように、そして記憶を風化させないように、思いを込めて書き込みます。

あの時、一つでも行動を間違えていたら、今はありません。あの時自分は生かされたから、今があるのです。3月11日は従業員みんなと自分の心に、そのことを深く刻む日です。

毎日の朝礼シートも、毎年3月11日だけは特別な内容に。小林オーナーは災害への備えの重要性と当時の思いを従業員に伝え続けています。

被災地でも活躍
「セブンあんしんお届け便」

「セブンあんしんお届け便」は小売店舗の減少する地域で、日常の買物に不便を感じている方々が全国で増えていることから2011年にスタート。弁当や日用雑貨など150アイテム以上の商品を軽トラックに積んで販売しています。多賀城
大代5丁目店は震災を機に移動販売を経験し、翌年12年から「セブンあんしんお届け便」として形を変え、地域の不便を解消するため車を走らせています。

「セブンあんしんお届け便」
の配送車

セブン ‐ イレブン
多賀城大代5丁目店
宮城県多賀城市大代5-5-25

セブン ‐ イレブン志津川十日町店|セブン - イレブン志津川十日町店 オーナー 山内秀人氏|店舗を失ってからの再挑戦|「感謝」を原動力に お客様と真剣に向き合う

セブン ‐ イレブン志津川十日町店|セブン - イレブン志津川十日町店 オーナー 山内秀人氏|店舗を失ってからの再挑戦|「感謝」を原動力に お客様と真剣に向き合う

「お店がなくては困る」とお客様の声に感謝の日々

現在の志津川十日町店。明かりの灯った様子が地域の方々の心を温めます。

当時南三陸町にあった店舗は、15年営業を続けてきました。契約更新を決め、店舗の改装工事中に、あの地震が起きたのです。南三陸町は市街地全体が被災し、店舗も津波で失いました。上物はすべて消え、建物の土台も僅かしか残っていない状況でしたが、「改装期間中でお客様と従業員がいなくて良かった」と人命が無事であったことに胸をなでおろしました。

店もなくなり、今後どのように生活をしていこうかと悩んでいる時に、セブン - イレブン本部から提案があり、5月8日より2トン車で移動販売を開始。まだ道路も復旧していない時期で、がれきを除いて泥だらけになりながら仮設住宅や山間部など、遠方をあちこち回りました。仮設住宅を回る中、常連のお客様と偶然出会い、泣きながら再会を喜んだことも。とくに山間部エリアは電気も水道も止まり、物資をはじめテレビや新聞の情報も届かない分断された状況でしたので、本当に喜ばれました。

移動販売は同年12月まで継続し、翌年には店舗があったもとの場所で仮設店舗を開店。以前のお客様が大勢来店され喜んでいただいたことに、「地域の皆さんがこのお店のことをなくてはならない存在と感じてくださっているんだな」と、地域にもっと貢献したいという思いでいっぱいになりました。

現在の志津川十日町店。明かりの灯った様子が地域の方々の心を温めます。

その後、市街地の復興にあわせて移転し、現在は3店舗を経営しています。「セブン ‐ イレブンがなくては困る」と声を上げて応援してくださった多くのお客様。そして、店舗の再建を含めて多くのサポートをしてくれた本部や店舗経営相談員(OFC)の方々には感謝しかありません。

現在でも当時の感謝の気持ちを忘れずに持ち続け、その思いが伝わる接客と、気持ち良くお客様に来店していただける接客や品揃えを徹底しています。そしてお客様と従業員の命を最優先に行動することを、これからも従業員全員に伝え続けていきます。

セブン ‐ イレブン志津川十日町店
宮城県本吉郡南三陸町志津川十日町207-2

本部|セブン ‐ イレブン・ジャパン オーナー相談室 アドバイザー(宮城地区) 伊藤裕之|一刻も早く地域に商品を届けたい|オーナーさんに寄り添い、営業継続策を提案

本部|セブン ‐ イレブン・ジャパン オーナー相談室 アドバイザー(宮城地区) 伊藤裕之|一刻も早く地域に商品を届けたい|オーナーさんに寄り添い、営業継続策を提案

移動販売と仮設店舗で
災害時の営業をサポート

当時、東北の地でさまざまな業務に携わっており、オーナーさんとも頻繁にコミュニケーションを取っていました。震災後は、本部と現場が連携できるよう4月に結成した「震災復興応援」チームの東北地区プロジェクトリーダーに任命され、約6年間、店舗の復興を推進してきました。

震災直後の命題は「1日も早く店を開けて、地域に商品をお届けすること」。まず各店舗の被害状況や安否確認を急ぎ、全国の本部社員の協力の下、現地での復興作業に尽力。被災した工場も多く、稼働している工場から商品を集め、何とか届けるのに必死でした。また、被災地では必要とされる商品が刻々と変わることを学び、その後の災害時対応にも活かされました。

津波で店を流されるなど甚大な被害を受けたオーナーさんは、この先も商売ができるのか、大きな不安を感じていたと思います。我々はオーナーさんをサポートすることが使命です。そこで、本部からは商売を続けていただく手段として移動販売と仮設店舗をご提案。それらで営業を続けられたオーナーさんの中には、お客様から「ありがとう」と感謝され、商売に対する思いが変わったと話す方が何人もいます。そんなオーナーさんの姿を見て、何としても期待にお応えしたい、それが我々セブン ‐ イレブン本部の使命なんだと、当時の学びを今にも活かしています。

全員が全力で被災地のために

全員が全力で被災地のために

セブン - イレブン・ジャパンでは、東日本大震災発生直後から1日も早い営業再開を目標に、被害状況を素早く把握。
震災の翌日から営業再開に向けて人的支援を実施しました。また、店舗を失ったオーナーさんには移動販売や仮設店舗の運営を依頼。被害にあわれた方々に商品をお届けし続けました。その結果、他コンビニチェーンが閉まった状態の中、4月7日時点で被災地域の95%以上の店舗の営業再開に漕ぎつけました。

トラックを改装した多賀城大代5丁目店の移動販売車。温かい食事や飲み物、日用品を求めてお客様が列をつくりました。

当時、山内オーナーが営業していた志津川戸倉店の仮設店舗。プレハブ店舗に大勢のお客様が来店されました。

被災したセブン - イレブン石巻双葉町店。偶然にも店の前に流れ着いた巨大ながれきが津波を防ぎました。

迅速な支援で人々の心を励ます

迅速な支援で人々の心を励ます

イトーヨーカ堂

イトーヨーカ堂では、震災で⼀部店舗が被災しましたが、翌⽇から全店で営業を再開することができました。
地域のライフラインを守るという使命のもと、本社と連携していち早く被災地に商品をお届けし、
「がんばろう東北!」応援セールなど営業を通じた⽀援でも被災地を励ましました。

イトーヨーカドー石巻あけぼの店(宮城県石巻市)|イトーヨーカドー幕張店 販促部長 (当時)イトーヨーカドー石巻あけぼの店 店長 青山 稔|被災したお客様のために震災3時間後に営業を再開|有事の際もお客様の声を聴く

イトーヨーカドー石巻あけぼの店(宮城県石巻市)|イトーヨーカドー幕張店 販促部長 (当時)イトーヨーカドー石巻あけぼの店 店長 青山 稔|被災したお客様のために震災3時間後に営業を再開|有事の際もお客様の声を聴く

刻々と変化する災害時のニーズに対応

2011年3月29日に撮影した石巻あけぼの店の従業員た
ち。ご自宅が被災した方も懸命にお客様のために尽くし
ました。

当日、恐ろしい揺れとともに商品が散乱して天井に亀裂が走り、命の危険を感じました。急いでお客様を店外へ避難誘導し、店を閉めましたが、しばらくすると水や食料などを求めてお客様が集まってきました。ほぼ全域が津波に襲われた石巻でしたが、店はギリギリで津波を免れました。 「よし、店を開けるぞ!」と号令をかけると従業員は驚いていました。売場はめちゃくちゃ、電気、ガス、水道、通信すべてが断絶。通常ならば不可能ですが、新潟中越地震の際、迅速に店を開けた決断が功を奏した経験を話し、震災3時間後に営業を再開。明かりもなくレジも動かない中、従業員が力を合わせて店頭に商品を集め、21時まで手作業で数百人のお客様に販売し、涙ながらに喜ばれました。

2011年3月29日に撮影した石巻あけぼの店の従業員たち。ご自宅が被災した方も懸命にお客様のために尽くしました。

ある夜、「子ども服がほしい」と来店されたお客様がいました。お話を聞くと、津波で亡くなったお子様に葬儀できれいな服を着せてあげたいとのこと。営業時間外でしたが店を開け、従業員が寄り添ってお手伝いさせていただきました。震災から日数を重ねるごとにお客様のニーズは変化。当座の食料確保から、嗜好品へと求めるものが変わっていきました。お客様のご要望に耳を傾けながら、変化するニーズに対応しました。本社のバックアップ体制は力強く、最優先で商品と応援の人員を送り込んでくれ、他社との商品調達力の違いは歴然でした。

災害時は、従業員も被災者。現場の責任者としてまず従業員の安全と寝食を守り、安心してお客様のために尽くせるよう配慮することを心がけました。

イトーヨーカドー 石巻あけぼの店
宮城県石巻市あけぼの1-1-2

VOICE

イトーヨーカドー石巻あけぼの店

子供ワールド部 パートナー

阿波広美

いつも通りの笑顔で
いつも通りの接客を

仕事の帰り道で大きな揺れを感じ、すぐ高齢の両親を連れ山に避難して津波から逃れました。電話も通じず、4日後に意を決しがれきの中を歩いてお店へ。お店にはみんながいて本当にうれしかったですね。お店が営業していることにお客様も驚き、「助かった」と涙ぐんでおられました。

あの時の「日常を取り戻そう!」という店長の力強い言葉が今も胸に残っています。なんでもない普段どおりの生活のありがたさを、身をもって感じました。

「みんな同じなんだから、一緒にがんばろうね」と互いに支え合っての10年でした。地域のお客様は一様に辛い思いをしていますから、今でもこちらから震災の話はしません。いつものことを、いつものように。コロナ禍でも安心してお買物でき、安らいでいただけるよう毎日心がけています。

婦人衣料部 パートナー

山下妙子

お客様のお話に
耳を傾けることが
この仕事の役目です

立っていられないほどの大きな揺れに襲われ、とっさにお客様を広い通路に誘導しました。買物カゴで頭をカバーしてもらいながら外へ避難。日頃から訓練していたからこそ、すぐ動けたのだと思います。「帰っていいよ」と促され、午後4時前に退社しましたが、津波で自宅が流され、私も避難所暮らしとなりました。

1週間後、お店が気になって自ら出勤。地域全員が被災者ですから、店でお客様と話すことや店の仲間といることで私も精神的に救われたと感じています。お客様も同じで、お話しすることで気が紛れたのでしょう。よく話しかけてくださいました。今でもお身内を亡くされたお客様のお話を聞くことがありますが、それも被災経験をともにした私たちの役目だと、静かに耳を傾けています。今後もお客様を守るため訓練に励みます。

シスター

菅原文美 ふみ

シスター(従業員相談役)として
仲間の安全を守る

被災して3時間後に店長からオープンすると言われ、最初は「この状態でできるのか?」と心配になりました。しかし店長は私たちが安全に過ごせるような体制をとってくれたので、店舗営業に集中して取り掛かることができました。

接客はさることながら、従業員の相談役でもあるシスターとして、災禍で働く従業員の体調の変化にも気が付くよう声かけをして回ることもしました。地震発生時は、帰れる従業員には帰宅してもらいましたが、電気も通っておらず出退勤の管理ができませんでした。そのため誰がいつ店舗を出たのか、帰ったと思っていた従業員がまだ店舗に残っていないか等、安否の把握が難しくなりました。従業員を守るため、日頃からノートに勤務状況を記録するようにしています。

イトーヨーカドーアリオ仙台泉店(宮城県仙台市)|イトーヨーカドーアリオ仙台泉店 店長 深井 洋一|情報収集の重要性を痛感|地元メンバーの意見を聴き 正しい情報のもとに判断

イトーヨーカドーアリオ仙台泉店(宮城県仙台市)|イトーヨーカドーアリオ仙台泉店 店長 深井 洋一|情報収集の重要性を痛感|地元メンバーの意見を聴き 正しい情報のもとに判断

震災で知った津波の恐怖と
地元従業員の機転

セルフレジ前の引き継ぎ業務の様子。コロナ禍の現在も
できる限りの感染防止対策を講じ、いつも通りの笑顔で
接客にあたっています。

当時私は青森県の八戸沼館店に勤務していました。店は地震による被害もなく、ホッとしていると地元従業員が「すぐにお客様を屋上に避難させたほうが良い!」と叫ぶのです。以前の津波の経験からの判断でした。すぐに店内のお客様を屋上に誘導した直後、真っ黒な海水が道路向かいの大型店を突き抜けて流れ込んできて、店の駐車場があっという間にのみ込まれました。東京出身で初めて津波を体験した私は「これが津波なのか」と体が震えました。八戸沼館店は津波に襲われたイトーヨーカドー唯一の店でしたが、津波の経験がある地元従業員のおかげで本当に助かりました。

はちのへぬまだて

セルフレジ前の引き継ぎ業務の様子。コロナ禍の現在もできる限りの感染防止対策を講じ、いつも通りの笑顔で接客にあたっています。

被災店舗で学んだ、
災害への向き合い方

2018年には現在のアリオ仙台泉店に赴任。当時はお店も大きく被災しているため、一人ひとりの防災意識も高いので、地元従業員の方の意見に耳を傾けることを大切にしています。地元の方の経験以上の情報はありません。
もし今後災害に遭うことがあれば、これまでの経験を活かし、まずは情報収集を優先します。津波の第二波は来るのか、余震は、お客様が通る道路の安全は確保できるのかなど…そうした情報を得るためには、地元警察や消防はもちろん、情報収集をしてくれる従業員や保安スタッフとの連携が必要です。それをもとに、店長として冷静に判断することを日常から意識しています。
こういったことは、有事の時だけ突然やろうとしてもできません。ですから、日ごろから仲間とコミュニケーションをとることが、何よりの防災対策だと考えています。自分に被災の経験がなくとも、周囲の声に耳を傾ければ、店長としてやるべきことは自然と見えてくると思っています。

イトーヨーカドー アリオ仙台泉店
宮城県仙台市泉区泉中央1-5-1

VOICE

イトーヨーカドー アリオ仙台泉店

食品レジ担当 パートナー

菱沼夕起子

人のためになる
仕事への誇りを胸に
笑顔でお客様をお迎え

当時、指先がかじかむような寒さの中で早朝から長蛇の列ができ、「商品を売ってくれてありがとう」と驚くほど多くのお客様に言われました。それまで接客業は大変だと思っていましたが、「お客様の生活に密着している、これが私の仕事だ」と腑に落ち、仕事ができる喜びを感じました。天災などによる避難行動はもちろん、事故を防ぐためには日ごろの心がけが大切。床のゴミや水濡れといった小さなことも見逃さず、クリンリネスを徹底して事故を未然に防いでいます。また、顔見知りのお客様ばかりなので「お変わりないですか?」と声をかけ、温かな交流を心がけています。

今回のコロナ禍ではお子さまから「お仕事、がんばってください!」と言われました。ますますがんばれそうな気がします。

紳士衣料部 パートナー

手代木 てしろぎ 久美子

有事の誠実な商売が
お客様からの
信頼につながる

「よそは野菜も大容量ばかりで値段も高めだけど、イトーヨーカドーさんはいつもどおりで本当に助かる」。当時お客様によく言われた言葉です。災害時には十分な現金をお持ちの方ばかりではありません。良心的な対応が信頼につながることを実感し、当時のマネジャーと「正直な商売をしよう。お客様に寄り添っていこうね」と誓いました。今でもイトーヨーカドーに対する地域の信頼は厚いですし、お客様に喜ばれたことで私自身もやりがいを感じて、もっとがんばろうと思えるようになりました。

災害は突然です。とっさに助け合うには仲間とのつながりが大事。日ごろから他部門の方とも積極的に会話しあいさつを交わすように心がけています。

シスター

亀山氷見子 ひみこ

お客様に寄り添い
毎日の暮らしに
欠かせないお店へ

激しい揺れの中でお客様を避難させるべく店内を探し回りました。外は雪が降っていたので、寝具売場から布団を運び出し、お客様に配布したり、従業員がけが人を近くの病院にお運びする等、混乱状態の中で、お客様の安全を最優先に考えて行動しました。自宅が石巻のため私は帰宅できず、店舗に2週間寝泊まりし、皆で「がんばろうね」と励ましあって難局を乗り切りました。停電の中、1日目は手作業でお金の受け渡し。2日目からは自家発電でレジ対応ができ、店頭に商品を集めて販売してお客様に喜ばれました。

お客様の「このお店がないと困る」といううれしい声を忘れず、これからも地域に寄り添っていきます。